第二次世界大戦中に海軍により北海のテムズ川河口湾に建造された要塞のうち、当時「要塞 U1」として知られていた現在のシーランドは、その中でも一番最初に建てられたものでした。 ガイ・マンセルによって設計されたこの要塞は、テムズ川河口湾と8マイル離れたハリッチ港への接近を阻むためにラフ・サンズに設置されました。
マンセルは、グレーヴズエンドのレッド・ライオン埠頭から3隻の曳船が引っ張るコンクリート製バージに要塞を載せ、目的地に着いたらバージごと要塞を所定位置に沈めるという画期的な設計を採用しました。
1942年2月11日には海軍の担当者が海水弁を開き、バージを深さ30フィートの海底まで安全に土台を沈める作業に着手しました。 海軍の水兵たちは、移動中に海水が船体に波打つのを防ぐためにバージの周囲に固定されていた木製の堰板を取り外すよう、マンセルから指示されていました。 何枚かの堰板を取り外した水兵たちは、海水弁を開くことに決め、残りの堰板をそのまま取り付けられたままにしました。 要塞内のバッフルにまんべんなく水流の負荷がかかるように計画されていた、安定した海底への配置作業はうまくいきませんでした。取り残された堰板と4,500トンの要塞、そしてデッキ上にいる人員全員が傾き始め、もう瞬時で大惨事に発展しそうになった寸前にバージが海底に当たり、要塞の構造体は水平に安定しました。
近くの小型駆逐艦からその様子を見ていたマウントバッテン卿は、その後の要塞建造では、人員が構造体上にいない状態で海底に設置するよう指示しました。
1942年に海軍水兵たちにより所定位置まで曳航される要塞